【クソノロケ】なんだってこんなにも恋人が可愛い

 恋人がかわいい。恋人はれっきとした成人男性でいやがるが、しかし憎たらしいほどかわいい

 

 

 

 私は、一般に言うモテるタイプではない。

 

 そもそも、モテてるやつは、リアルが充実し過ぎてるだろうから、ネットの端っこで姿の見えない人間に向かって自分語りしているわけがない。

 

 異性を誘惑する能力に関しては虫けら以下の私に、ふやっふやに気の抜けた声で、喉ゴロゴロ鳴らしながら甘えてくる恋人が超かわいい

 

 かわポ(かわいいポイント、の略)その1。かわポその2は、私が恋人に笑いかけると、私の数億倍かわいい天使のような笑みの祝福をくださり給うところ。

 

 かわいいの費用対効果が最強すぎる。

 

 

 

 付き合いたての頃は、色々と気を遣って、「男性に向かってかわいいとかいうのは失礼か?」的なことをもんもん考えていたものの、あれから1年も経てばこの有様である。

 

 かわゆい恋人を愛でたい欲を、毎日惜しげもなく発散することができるようになった今が、おそらく生涯のQOLのピーク真っ盛りだと思われる。

 

 

 

 恋人関係という契約のガイドラインには、「かわいすぎる相手を、ライバルの目とかの細けぇことを気にせず好きなだけかわいがることができる」という項目があると思う。

 私にとって、この項目の存在はかなりデカい。なぜなら恋人がかわいすぎるから。恋人(とてもかわいい)を愛でるのはもはや私のライフワークになっているがゆえ、私が健康的に日常を育むためには、なまらめんこい恋人(こいこいびと…w)が必要不可欠だろう。

 

 

 

 私は今までもこれからも、あらゆる手段で恋人を愛し続ける。今まで行ってきた数々の「かわいい恋人の愛し方」については、また別の記事にてまとめようと思う。

 

 

 

 私がここまで安心して激カワな恋人に酔うことができるのは、ひとえに安心感があるからだ。

 「自分が相手にメチャックソにデレても、相手が引くことはない」という安心感でもあり、「よほどのことが無い限り、相手が自分の元から離れていくことはない」という安心感でもある。

 

 

 あまり触れたくない事実でああるが、愛情を注ぐことにはやはり金と時間のコストが掛かる。

 将来性のない関係に掛けるコストは、単に無駄遣いである。逆に、生涯をかけて愛すべき人には、損得勘定を抜きにして愛情を注ぎまくるだろう。

 

 ただし、私が言いたいのは「ブランドもののバッグすらプレゼントしてくれない恋人は、自分との将来を考えていないためすぐに切るべき」などということでは断じてないことを理解して欲しい。

 

 

 現在の私と恋人の状況を考慮すれば、両親に学費を出資してもらっている学生の身分で恋人のために破産するのはかえって不誠実ではなかろうか?

 

 考え方は人それぞれだけれども。

 

 

 また、これは持論だが、「信頼を得るために愛情表現する」よりも、「信頼関係があるからこそ愛情表現を惜しまない」という関係のほうが健全だと思う。なぜなら、前者だと相手に見返りを求めてしまうからだ。

 

 

 自分が本当に恋人に愛されているのかと、考え出したらキリがなく、気分も落ち込む。なにより、見返りを強要される側は、お返し地獄と病んでいる相手の開放で息苦しくて仕方がなくなる。

 

 実際、私もそれが原因でかわいいかわいい恋人と破局しかけた経験がある。思い出せば今でも泣きそうな、悲しい過去だ。

 

 そんな過去の経験からも、お互いにとって落ち着く居場所になる関係が長続きするのだろうと思う。

 

 

 

 恋人がかわいいという話題から若干逸れてしまったが、とにかく私がどれだけ恋人をかわいがっているか、おわかりいただけただろうか。

 

 では、今日のところはさようなら。